これまでの将来の夢
これまで私は数々の将来の夢を抱いてきた。
私の記憶のある中で一番最初に持った夢はピアニストだ。
恥ずかしい話だが私はピアノを習ったことは一切ないし、当時の私はピアニストという言葉の意味を知らなかった。
ただピアニストという言葉の響きが好きだった。
そこからペットショップの店員やインテリアデザイナー、ネイチャーガイドや保育士などを経て、
中学生になり13歳のハローワーク読んで、将来というものに興味?みたいなものを抱いたのはよく覚えている。
しかし、高校に入学して、中学校の頃の部活漬けの生活から突然勉強漬けの生活を強いられるようになり、自分のやりたいことはスポーツであって勉強ではないと思った。今思えば、勉強するのが当たり前でこんなにいい環境を与えているのになぜ勉強しないの、みたいな先生の態度に反抗したくなっただけだったのだろう。他の人と同じように高校生活を送るのが少しシャクに触ったのだろう。
そんなこともあって、私はスポーツの道を志したが、現実はそんなに甘くはない。何より私は一度スポーツの道を投げ出した身だ。
考えていくうちに私はスポーツの世界で幼少期から真摯に努力を続けるアスリートへの憧れが強いのだと気づき、アスリートを支える仕事をしたいと思った。そこで出会ったのがアスレティックトレーナーだ。
理学療法士の資格が取れる大学を目指し、大学卒業後専門学校への入学を考えた。
担任の先生に打ち明けると、私の将来に真剣に向き合い、応援してくださった。あの時の嬉しさは今でも忘れていない。よく考えれば、よく将来のことも考えていないのに勉強はしない、私の生きる道はここじゃない、なんて言って反抗する高校一年生がいれば、その考えに反対するのは当たり前だ。むしろそんな私の勉強の心配をし、面談で話を聞いてくださった。本当に良い先生に出会えた。
そんな先生の力添えもあり、遅いスタートではあったが、勉強するうちに少しずつ学ぶことが楽しくなってきた。
と同時にスポーツトレーナーを目指すことの厳しさも知った。
海外留学をしたいと思ったが、私の家は日本の大学の学費でさえ本人が工面しなければならない。一人暮らしの費用も然りだ。
そんな中でいくら最近の奨学金制度は充実しているから、とか言っても流石に無理があることは私も理解していた。行くとしても大学に入学してからの話だと思った。
そんな時に出会ったのが、スポーツ用のシューズの研究と言う仕事だ。全国の高校生を対象とした、夢ナビライブと言うイベントでたまたま寄った工学ステーションという場所で香川大学の先生から聞いた。材料工学や構造の研究をして、アスリート用のシューズやウェアの研究開発を行う仕事。私はそれがしたい、と思った。昔から物作りは好きだったし、大工になりたい時期もあった。建築士を志した時期もあった。何より自分の努力次第でなれるものでアスリートの役に立てる仕事がある、と言うことが最大の決め手だった。
そして私は特に興味があった、材料工学に的を絞り、研究者になれる大学を目指そうと思った。