23-1005

「人も腕を再生できるなら、自分を含めて人間はより戦争を望むようになるかもしれない」レオミュール

 

今日の大学の授業で出てきたフレーズ。

発生、再生の研究の始祖レオミュールの有名な一言だが、これにはサイエンスの持つ重要な課題が背景にはある。

再生について研究が進むと、生活に不便があるひと、生命の維持が難しい状態にある人を救えるかもしれない。

でもそれは人がケガや病気を恐れなくなり、戦争による解決を望むようになるのではないかという指摘だ。

 

知的好奇心のもとに純粋な科学を探究する時代は科学が技術と結びついた時点で終わりを迎えている。科学は技術に影響を及ぼし、技術は科学に影響を及ぼしてきた。

科学者はいったい何を目的に研究しているのだろうか。

純粋な知的好奇心なのか、社会、技術の要請に従っているのか。

自分の研究が自分の手を離れた後、意図しないところで、自分の研究が技術と結びつき、誰かを傷つけるかも知れない。
技術の要請に基づいて研究をしたけど、この技術は公表してもいいのか、何に活用されるか定かでない。
軍事技術も社会の発展に役立つ技術もひとつながりでそこには使う人の倫理観のみである。

科学者は技術者のこれからには責任を持てないが、無責任にはいられない。生みの親は自分なのだから。

 

この状況下にありながら人類は何千年も先人たちの研究を現代まで積み重ね続けている。

そこには負の側面だけでは語れない何かが確かにあるからだろう。

とすればその活動を負の側面で拘束するわけにはいかない。

 

どのような技術の使い方が現代を生きる我々には求められるのだろう。

 

 

 

 

 

23-0807

 久しぶりにはてなブログを開いて、自分が過去に綴った言葉を見るとすごく恥ずかしくなる。

 

こんなにいろいろしっかり考えていたんだ、

いまの自分がすごくふわふわしてるように思える。

 

今の自分の目標はアウトプットがしっかりできるようになること。

いろんなこと思っていても、考えていても、伝えられなかったらそれはただの妄想に過ぎない。

自分の言葉で誰かに伝えられるようになりたい。

 

そんな思いでなるべく三日坊主にならないようにまた言葉をつづりたい。

 

 

今日の読書

 

最近、伊集院静の「大人の流儀」をずっと読んでいる。

まだ、三冊目までしか読んでいないが、ここで感じたことをまとめておきたい。

 

この本の最大の魅力は伊集院静の本音が余すことなく描かれていることだ。最近はニュースなどでコメンテーターがなんらかの社会や政治の動きに関して意見を言うときも婉曲的というか、オブラートで過剰に包んであるというか、どちらとも取れないコメントをされることが多い。

でもだからこそ新聞の社説や雑誌のように世の中を広く見ている人の意見を聞きたいと思って、この本を手にとった。

 

読み始めてすぐ感じた事は、この本は単に昨今の社会情勢に意見をしたり、批判するものではないということだ。

1人の人間の日々の感情、思考がつづられている。

これから

 

将来の夢は何かと聞かれて即答できる19歳は少ないと思う。

少なくとも私は答えられない。

確かに聞かれれば以前書いたように材料工学の勉強がしたいと思っています、とさらっと言ったりする。

しかし最近は将来何をするかについて考えたりする。

別に副業が認められてる今、一つに絞る必要はないのかもしれないが、それでも全てを同じエネルギー量でできる訳はなく、どうしてもメインの仕事としてできるものは限りがあると思っている。

 

最近は自分は何がしたいんだろう、と言うよりも何ができるのだろう、と考えることが多い。これは、決してマイナスの意味ではない。自分の食べていくための職業ではなく、天職は一体何なのか、を考えてしまう。

 

少なくともビジネス関係の仕事は向いていないと思う。中学生の頃はマーケティングにかなり興味があり、街に出ては店舗の立地や商品の並べ方を観察していた時期はあった。今も確かに興味はある。でも多分一つの企業に勤めるのが向いていないのだろう。安いものがいいとは思わないし、何なら安さを追求するぐらいなら、高くてもいいから技術者や開発者、工場の人へそれなりの対価を払うべきだと思っているぐらいだ。

何より私の最大の問題点はお金への興味があまりないことかもしれない。確かに、ないのは困る。それはわかっている。今の私の家も別に裕福ではない。むしろ、世間的には貧困家庭に分類される。小学校の頃は習い事ができなくて文句を言ったりもしたし、中学生の頃は部活動の充実した私立高校に通わせてもらえないことに腹を立てた。でも何より嫌だったのは、家族みんなが安さを追求したり、お金にならないことは意味がないという態度が嫌だった。中学の頃は給食も補助が出ていたためお金を払わず食べれたし、高校の授業料も免除してもらっている。18歳までは医療費もかからず、貸与ではあるが奨学金も借りることができた。そこに一切の感謝を示すことなく被害者ぶっている家族が嫌だった。お金をかけるべきところにはかけず、浪費にお金を使う姿を見て、仕事を労働と捉える姿を見て、私はお金のためではなく自分のために働こうと思った。

話が大幅に逸れたが、私は仕事に価値を提供するべきだと思っている。アジアの国々から留学生という名目で日本にやってきた学生が安い賃金で工場などで働いている。非正規雇用の人の立場が弱いことも問題視されている。そんな中で一つ一つの仕事がもっと技術として認められ、働きに見合った対価が必要だ。安い労働力として酷使するから、スーツのボタンがすぐに取れたり、高速バスの事故が起こったりするのではないだろうか。中学生の頃、ツアーバスで事故が起こっても、旅行会社は何の責任も負わないということを知って驚いた。バス会社に全ての責任があるとされるのはおかしいと思った。バス会社は旅行会社の希望通りにバスを走らせないと経営が厳しいことは、年々学校へ向かうバスの本数が少なくんなっていく地域に住んでいるものとして知っているつもりだ。少ない運転手で旅行会社の希望通りバスを走らせれば、どこかで事故が起こるかもしれないことくらい中学生の私でも理解できる。もしかしたらもっと複雑な関係があって、まだ社会に出ていない私にはわからないことがたくさんあるのは重々承知の上だ。しかし確かに高速バスは安いし、私も東京に行く時は何度かお世話にもなった。でもその時高速バスの比較サイトで、その日の最安値を調べて予約した時、自分もどうせ安いのがいいのか、と思って少し悲しかったのを覚えている。

あまり頭の中で整理できてないのに書き出したからぐちゃぐちゃになってしまった。こういうところがまだまだだな、と思う。

 

 

 

一つだけこれは絶対にやりたいことがある。

それは樹木医として活動することだ。

木には不思議な力がある。私たちを暖かく包み込む。時に厳しく、時に優しく、これまでずっと日本人の生活を支えてきた。

私は木の幹にそっと触れるのが大好きだ。ギュッと抱きしめたくなる時もある。

根っこのちょっと出っ張っているところに腰掛け、ずっとここで風で葉が擦れ合う音と、鳥の鳴き声と時々何かが落ちる音をずっと聞いていたくなる。

小さい頃、私はずっと木は強いものだと思っていた。何事にも一切動じることなく静かに立っている、そんな姿をかっこいいとおもっていた。

でも東日本大震災の時、地震の揺れによって地中の中であちこちの根が切れ、一年くらい経って、枯れてしまう木がたくさんあった。

津波の被害を受け、根が腐ってしまった木は有名だが、私は雨や雪や風にずっと耐えてきた木が見えないところで傷ついていた、というのに衝撃を受けた。と、同時に何とかして守りたいと思った。木は静かだから自分から大きな声でSOSを求めたりはしない。少しずつ、少しづつ、弱っていってある年、枝も葉も茶色くなったりする。でも木の下には木に守られて例年通り花が咲いたりする。世界中の木を守りたい、とかそういうことは思ってはいないが、木の声を聞いてあげたいと思っている。

 

あともう一つ、

たくさんいる学ぶことを諦めている中高生にあきらめなくていいよ、と伝えたい。いや、単に言葉だけでなく、適切な情報を与えたい。

当たり前のように進学しない人はたくさんいる。私はそういう人に選択肢を与えたい。進学をしないならそれでもいい、ただ進学をするという選択肢を考えた上で決めて欲しい。それは進学を決めている人にも。手の届く無難な進路ではなく自分で決めた進路に進んで欲しい。北欧の国には劣るかもしれないが、意外とこの国は進学に対する援助はいろいろある。姉は大学に進学し、兄は高卒で働く姿を見て、経済的にどうとか、親の学歴がどうとかって関係ないんだな、と思った。私の高校はほぼ全員が四年生大学に進学する。その中で就職を選んだ友人がいた。高校を途中でやめて新たな道に進む友人もいた。彼らの自分の進路に対する真摯な姿勢と、適切に周囲のおとなに相談し、進路を変えたり貫き通す姿はかっこいいと思った。こんな選択肢もあるんだよって伝えられる人になりたい。

 

 

これまでの将来の夢

これまで私は数々の将来の夢を抱いてきた。

私の記憶のある中で一番最初に持った夢はピアニストだ。

恥ずかしい話だが私はピアノを習ったことは一切ないし、当時の私はピアニストという言葉の意味を知らなかった。

ただピアニストという言葉の響きが好きだった。

 

そこからペットショップの店員やインテリアデザイナー、ネイチャーガイドや保育士などを経て、

中学生になり13歳のハローワーク読んで、将来というものに興味?みたいなものを抱いたのはよく覚えている。

 

しかし、高校に入学して、中学校の頃の部活漬けの生活から突然勉強漬けの生活を強いられるようになり、自分のやりたいことはスポーツであって勉強ではないと思った。今思えば、勉強するのが当たり前でこんなにいい環境を与えているのになぜ勉強しないの、みたいな先生の態度に反抗したくなっただけだったのだろう。他の人と同じように高校生活を送るのが少しシャクに触ったのだろう。

そんなこともあって、私はスポーツの道を志したが、現実はそんなに甘くはない。何より私は一度スポーツの道を投げ出した身だ。

考えていくうちに私はスポーツの世界で幼少期から真摯に努力を続けるアスリートへの憧れが強いのだと気づき、アスリートを支える仕事をしたいと思った。そこで出会ったのがアスレティックトレーナーだ。

理学療法士の資格が取れる大学を目指し、大学卒業後専門学校への入学を考えた。

担任の先生に打ち明けると、私の将来に真剣に向き合い、応援してくださった。あの時の嬉しさは今でも忘れていない。よく考えれば、よく将来のことも考えていないのに勉強はしない、私の生きる道はここじゃない、なんて言って反抗する高校一年生がいれば、その考えに反対するのは当たり前だ。むしろそんな私の勉強の心配をし、面談で話を聞いてくださった。本当に良い先生に出会えた。

そんな先生の力添えもあり、遅いスタートではあったが、勉強するうちに少しずつ学ぶことが楽しくなってきた。

と同時にスポーツトレーナーを目指すことの厳しさも知った。

海外留学をしたいと思ったが、私の家は日本の大学の学費でさえ本人が工面しなければならない。一人暮らしの費用も然りだ。

そんな中でいくら最近の奨学金制度は充実しているから、とか言っても流石に無理があることは私も理解していた。行くとしても大学に入学してからの話だと思った。

 

そんな時に出会ったのが、スポーツ用のシューズの研究と言う仕事だ。全国の高校生を対象とした、夢ナビライブと言うイベントでたまたま寄った工学ステーションという場所で香川大学の先生から聞いた。材料工学や構造の研究をして、アスリート用のシューズやウェアの研究開発を行う仕事。私はそれがしたい、と思った。昔から物作りは好きだったし、大工になりたい時期もあった。建築士を志した時期もあった。何より自分の努力次第でなれるものでアスリートの役に立てる仕事がある、と言うことが最大の決め手だった。

 

そして私は特に興味があった、材料工学に的を絞り、研究者になれる大学を目指そうと思った。

 

 

新しく気付いた自分

今週のお題「2020年上半期」

 

初めて書くブログが今年の上半期のまとめになるとは、正直予想外だったが、何を書こうか迷うぐらいだったら、お題に沿って書いてみようと思った。

 

2020年上半期は、出来事として起こったことはそんなに多くはないと思うが、精神面ではたくさんの変化を感じた時期である。

マイナスの変化もあればプラスの変化もあった。

その中でもいろんな自分の姿に気づけたことはかなり大きかった。

 

高校時代、私は一人が好きだと思っていた。確かに、友達と話すのは好きだし、お昼ごはんも教室でクラスメイトと食べていた。でも、一定の距離感は保っていた。学校外で待ち合わせをして会う友達は二人ぐらいだった。学校で会えば話す。勉強中、休憩しようと思って自習室の外で雑談を軽くするくらいの人間関係が、私には心地よかった。

 

しかし卒業し、浪人生になり、同時にコロナの影響で家で一人で勉強するようになってから私のそんな考えは変わった。

話す友達もいない。ラインでたわいもない話をする人もいない。twitterやインスタグラムをみればzoomで友達と話たり、履修の相談をする高校時代の同級生がいる。卒業するときには、またどっかでかけようか、と言っていた友達も浪人をしている私に気をつっかて行けるときlineして、という。

本当にしんどくて、つらくて、そして寂しかった。友達に必要に絡まれると少しいら立つこともあった。しかし、私は初めて友達がいなくて寂しいと思った。

これまで一人が好きと言っていた自分が恥ずかしい。私は全く一人ではなかった。むしろ、たくさんの温かい友人に恵まれていた。みんながいるから一人になれていたのだ。一人と独りは全然違う言葉だ。いつも私とトイレで会ったとき、移動教室の時階段ですれ違ったとき、夏期補修で隣の席になったとき、軽く声をかけてくれた、たくさんの友人の大切さを知った。

 

六月になり、予備校の通常授業が再開された。正直布団から出るのもしんどくて、でも部屋にいるのもしんどくて、泣きそうになりながら毎日を送っていた私を救ってくれたのは高校時代の友人だった。通常授業が始まって最初の科学に授業。高校時代の友人を見つけて泣きそうになった。休み時間に声をかけてもらえて、また泣きそうになった。今は夏期講習期間に入りなかなか会うことは少なくなったが、自習室からの帰りやお昼ご飯を食べているとき、名前を後ろから呼ばれるのがたまらなくうれしい。

 

私はかなりの寂しがり屋みたいだ。